16.無理な治療はせず自宅で「枯れていくような自然な死」を迎えた女性

Dさん 年齢:98歳 女性

病歴:とくになし。

家族:夫とは死別。息子夫婦(60代)と2世代住宅の1階で自立して暮らす。

 

Dさんは98歳であったが、大きな病気もせずに元気に暮らしていた。息子夫婦とは2世代住宅だがキッチンやトイレなどそれぞれの生活スペースは独立しており、ほぼ自立した生活をしていて定期的なデイサービスにも意欲的に通っていた。買い物も自分で楽しみながら出かけることができた。

 

ところがその年はたいへんな酷暑で、さすがのDさんも夏バテのせいか食欲が落ちデイサービスに行くのもおっくうになり家から出なくなった。心配した息子はケアマネジャーに連絡。ケアマネから訪問看護ステーションに相談があった。看護師が訪問したところ、たしかに元気はなくしていたが、98歳という年齢を考えると年相応とも受け止められると家族に伝えた。しかし、これまでのDさんの元気な生活状態を見ていた息子夫婦は何らかの治療が必要ではないかとの思いをぬぐい切れなかったようだ。数日後に「食が細くなっている。点滴などする必要はないのか」と訪問看護ステーションに連絡があった。看護師は訪問し体の状態を診たうえで「高齢からくる衰弱と考えられる。無理にでも入院をして検査をすればどこか悪いところは見つかるかもしれない。しかしこの年齢で治療の判断を医師がするかどうかはわからない。在宅医の訪問を受けてから入院の判断をしてはどうか」と伝えた。Dさんに入院の意志を確認すると「年も年だから体調が悪いのは仕方ない。入院はしたくない」とのことだった。在宅医の診断も「点滴などせずに、食べたいときに食べたいものを食べ、飲みたいものを飲めばよい」であった。

 

こうしてDさんの在宅ケアが始まった。訪問看護は週に1回で、おもにDさんの体の状態を見ることが訪問目的となった。本人はオムツの着用は強く拒否。排せつは自分でするという強い要望をもっていたので看護師もその意志を尊重した。

 

ここから家族の不安が渦巻く数週間となる。本人が望んだとはいえ息子夫婦は自宅にいる母親の様子が気になって仕方がない。食欲がかつてのように戻らないが大丈夫だろうか、トイレに行くときに転倒しないだろうか、と心配になる。夜にそっと部屋をのぞきにいくこともあり睡眠不足に陥ったりもした。そんな息子夫婦からの要望で訪問看護は週に2回になった。Dさんの看護というよりも家族ケアの側面が強かった。「母親が急に亡くなるようなことはないだろうか」という不安に駆られて緊急訪問の要請があったこともある。「やはり入院させたほうが良かったのではないか」と気持ちは揺れ動く。看護師はその気持ちに寄り添いじっくり話を聞いた。Hさんには認知症はなく意識もはっきりしていたので、ときにはベッドサイドで息子と3人で昔話をした。2人で面と向かうとできない話も看護師が入ることで素直にできることもある。息子からDさんへ感謝の言葉が伝えられDさんがうれしそうな顔をしたこともあった。

 

秋が訪れるころDさんの体力は落ち、自力でトイレまで歩くことが困難になった。そのためポータブルトイレをベッドサイドに設置した。この時期にはヘルパーと看護師が日替わりで訪問しトイレの介助や清拭を行った。看護師はリラクゼーションのために足湯を提案して最後までDさんの快適な生活を支援した。

 

やがてDさんが寝ている時間は徐々に増えていきポータブルトイレも使えなくなってきた。Dさんはオムツ着用を承諾した。しばらくして、Dさんの呼吸の状態から死期が近いことを推測した看護師はそれを息子に伝えた。「とうとうですか」と息子はその事実を冷静に受け止め、遠くに住む姉に連絡した。数日後、姉が到着して訪問看護師も見守るなかDさんは静かに息を引き取った。亡くなる前には食事も水分もわずかしかとらなかった。その姿はまるで草花が枯れていくようで、自然に死を迎えて天寿をまっとうしたという言葉がぴったり当てはまるものだったという。訪問看護ステーションの管理者には息子から「本当にありがとうございました。なんの悔いもありません」と感謝の電話が入ったという。

 

この事例では家族が在宅ケアを受入れるまでに何度も心の揺れ動きが見られた。これは決してめずらしいことではない。ベテラン訪問看護師によれば「家族が“入院させたほうが良かったのでは”と揺れ動く期間は必ずある」という。しかし、この時期を経るなかで息子夫婦はDさんの食欲の減少や睡眠時間が長くなるなどの変化を受け入れ、別れの覚悟を固めていくことができた。入院をしていれば点滴などで体の栄養状態は保つことができてもう少し長く生命は維持できるかもしれない。しかし、家族がこのように別れを覚悟する時間はとれなかったのではないだろうか。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は1月10日にお届けしますのでお楽しみに