20.訪問看護を利用し、最後はホスピスでの死を選んだ男性

Tさん 年齢:70歳 男性

病歴:大腸がん

家族:妻と2人暮らし

 

Tさんは60代前半に大腸がんを患い大腸ストーマを造設した。その後経過は良く元気に日常生活を送ることができるようになった。しかし2年が経つころストーマの周辺が皮膚トラブルを起こすようになり、週に一度、ストーマ交換をしていた妻の負担もだんだん大きくなってきた。それ以外にはTさんの健康上には大きな問題がなく介護保険は使っていない状態であった。

 

妻は自分一人でTさんのことを見ているのも心配になり訪問看護ステーションに相談をした。在宅医とも相談をして、まずは週1回の訪問看護からスタートし、ストーマ交換と周辺の皮膚の状態のチェック、体調管理を行うことになった。また妻の負担を減らし気分転換をはかるためにTさんにはホスピスに1週間のレスパイト入院をしてもらうことにした(レスパイト入院とは家族の息抜きをするために在宅看護・介護のできない患者を一時的に入院させることである)。それによって妻はいったん元気になることができたので、レスパイト入院の有効性を妻も訪問看護師も感じることができた。

 

またTさんもそれまではホスピスに対して具体的なイメージをもっていなかったようだが、この入院を体験してからはホスピスでの生活もイメージできたようであった。

 

とはいうものの、Tさんは自宅での生活に満足をしており、そのままこの生活が続くことを望んでいた。ストーマ交換は「3日に一度」に頻度を上げていたので、それに伴い訪問看護も回数を増やしていった。訪問看護師は妻の様子を見ていると、今後について話し合う必要性を感じた。そこでTさん、妻、訪問看護師、在宅医で「どのような形で生活を続けていきたいか。お別れのときはどこで迎えたいか」を話し合う機会を設けることにした。いわゆる「人生会議(Advance Care Plan:ACP)」である。

 

妻はストーマ交換だけでなく、今後Tさんの症状が悪化した場合に自分一人で看護できるのかについて不安を持ち続けていることを告げた。Tさんも「自分になにかあったときに家族が不安のない場所にいたほうがよい」という気持ちが強かった。それに対して妻は「自分には自宅で看取ることに自信がない」と言い切った。Tさんは自宅で最期を迎えることを望んではいたが、妻の気持ちもおもんぱかった。じつはTさんは若いころ妻に迷惑を掛けた出来事があった。「これまで妻にはたいへんに世話を掛けてきた。これ以上、自分のために妻に負担を強いることはできない」と訪問看護師に語り、みずからの意志でホスピスに入ることを決めた。

 

そしてホスピスに入って数か月後、Tさんは妻に看取られながら静かに息を引き取った。

 

在宅医療の本質は「自宅で死ぬこと」ではなく「死ぬまで自宅で生きること」である。ホスピスで亡くなったTさんはそういう意味では「在宅医療」で最期を迎えたわけではなかった。しかし、Tさんは自分と家族(妻)との生活を考えて「在宅医療」と「ホスピス」を使い分けたのである。老老介護も課題となっている昨今、できるところまでは自宅で生きて、介護者の負担を考えて最後は医療機関を使うというのはますます必要な観点になっていくだろう。5回目で書いた「『施設ケア』と『在宅ケア』を組み合わせる」の一つの事例である。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は3月13日にお届けしますのでお楽しみに。