[哲学カフェ]の開催など幅広く活躍中
大阪大学名誉教授 土岐 博さん

毎月恒例の【哲学カフェ】の司会進行でもお世話になっている土岐博先生。
専門の学問の分野(物理学)においてだけでなく、地域のため、社会のためにと精力的に活動されています。
高齢者が社会や地域の人たちとかかわり続けたり、対話したりすることを重視し、哲学カフェではひとりひとりの意見を尊重しながら参加者の議論を盛り上げて頂いています。
そんな土岐先生の思いをご紹介します。

◆社会が明るく元気になってほしいという思いの実現に向けて◆

現在は71歳です。63歳の年齢で退職して、数年経って高校の同期の同窓会がありました。
我々は「戦争を知らない子供たち」の最年長者で、我々より5年若い人は第一ベビーブームのピークです。我々は高度成長期に育ち、経済が上げ潮のなかで夢を語り合い、それを実現してきたという自負があります。とにかくこの歳になるまで、国が大きく乱れることがなかったということで、最高に幸せな時間を過ごさせてもらったという思いがあります。
そこで、何か社会に役に立つことをやろうという話になりました。

その時に、「認知症」をターゲットにしようと決めました。
その時の私の思いは、認知症って病気なのという疑問です。確かに、徘徊や子供の名前を思い出せない。服を着れない。。。は本当に問題です。
でも、それを社会が「いいじゃない年寄りなんだから」と笑って見ているというのが、社会のあるべき姿だと思っていました。

それは単に自分の思いです。そこで、大阪大学という医学、社会学、介護学、自然科学などの全分野で研究者や学生が集まっているところで、「認知症横断プロジェクト」を走らせることにしました。認知症を知るのに、病気のこと、脳の機能、重症化の予防、脳の老化防止、社会の仕組み、介護の方法、医療と看護などの話を専門家から聞き、自らでも「認知症とは何か」ということを勉強しました。これは2015年度から2017年度の3年間続きました。

この勉強会(談話会)での結論は、「認知症は老化によって引き起こされる認知機能の低下」ということです。
およそ、生と死がある人間は老化し、最後に死を迎えます。体機能も老化するように脳機能も老化します。当たり前の現象で、早かれ遅かれ誰にでもおとづれます。
これを問題だというのは社会のあり方との整合性に起因します。昔の大家族性で、3世代や
4世代が同居するのが当たり前の時代には家族の中で対応できたでしょう。
ところが現代では核家族になり、子供が育てば夫婦だけで生活しているのが当たり前になっている
社会とこの認知症が整合しないのです。もう家族では受け切れない「社会の病気」になってしまっているということが問題だと思えます。

私はいつも「自律の精神」が大事だと思っています。
自分のことは自分が責任を持ち、その上で社会と付き合うことが、個人を幸せにすると信じています。認知症はこれを根底から崩します。いろんな日常のことが自分ではできないので、介護が必要になってきます。だからと言って長年生きてきた人は自律精神、自尊心を持っています。
その意味では、介護が本人の自律の域にまで侵害しないことの重要性があると言えます。

あまり長い文章にしたくないので、まとめます。「社会が明るく元気になってほしい」というタイトルにしたのは、個人のレベルではできるだけ、個人が老化の予防に努めることを主張することです。
とにかく好きなことをすることです。その時に自分は老化しているのだという気持ちを忘れずに、脳を活性化させ、体を動かすことが大事です。
次に社会に対する願いです。社会は認知症の人を受け入れることです。それも、尊敬の念を持って付き合うことです。社会の荷物ではなくて、社会そのものだという思いで、老人と付き合うことが大事です。徘徊も良いじゃないと考える。全てを禁止するのではなくて、老人の散歩を見守ってあげるという思いが大切だと思っています。そして、何よりも高齢社会になっている社会を元気にすることが大切だと思っています。自律の精神で老化を徹底的に遅らせることが社会の役に立つことを個人が自覚することが大切です。それによって、国や自治体は必要なところに予算を使えるようになります。


私の小さな活動ですが、「哲学カフェ」を月に1度開催しています。
そこでは参加者は好きなことを話します。また人の話に耳を傾けます。楽しい会話の時間です。年齢を問わず、病気の有無を問わず、とにかくそこに行って「真剣に会話」する場所を提供したいと思っています。必ず自らの日常に自分の発言したことが励みになることだと思っています。