11.最後まで自由に自分の意思を貫いた男性

ここからは実際に訪問看護の事例を紹介していく。

Aさん 年齢:80歳

病歴:がんで「余命半年」と宣言される

家族:妻はすでに死亡。一人暮らし。50代の娘は結婚して家族を持ち別居。

 

Aさんはもともと豪快な性格で自由に生きてきた人。がんの宣告を受けても「入院はしたくない。死ぬときは自宅で死にたい」と退院を選んだ。娘は車で通える距離に住んでいたが、Aさんは一人暮らしのままでの訪問看護ステーションを利用する形で在宅ケアがスタートした。退院前に訪問看護ステーションの管理者が面談して、在宅医の月2回、訪問看護師の週1回の訪問が決まった。この時点では医療保険のみで、介護保険は使われなかった。

 

Aさんはもともと一人暮らしをしていたので、退院後の生活も大きな変化はなかった。自宅マンションのすぐ近くにスーパーがあり食事は自炊ができた。週1回の訪問看護ではバイタルチェック(体温や血圧)、生活が成り立っているか、栄養状態はどうか(ゴミ箱を見るなどして生活状況を確認)、お風呂や排せつに問題がないか、体に痛みはないか、精神的に安定しているかなどを質問とともに確認。訪問後はその状況を娘にメールで報告することにより、家族との関係も構築していった。

 

しかし2か月ほどすると歩くのが困難になってきた。ケアマネジャーが面談し介護保険を使うことになった。介護ベッドレンタルを開始し、ヘルパーが週に3回訪問。食事、洗濯、掃除を行い、ヘルパーと連携しながら訪問看護師も週に2回から3回に訪問回数を増やした。娘もときどき訪れ泊まっていくようになった。Aさんはスーパーへの買い物途中で歩行困難になることがあったが、日ごろから近所づきあいがあったために顔見知りの人に助けてもらったこともあったようだ。在宅ケアにはそういったそれまでの生活環境や人間関係も大きくかかわってくる。病院に入院してしまうと、こういった周囲とのつながりが突然失われてしまう。それまで自宅で積み上げてきた環境(家族やペット、地域との関係など)とのお別れの時間を在宅ケアではもつことができる。

 

3か月になると排せつが困難になり安楽尿器(寝たまま尿ができる器具)の使用なども始まる。娘がこのころから頻繁に訪れ宿泊するようになったが、仕事が忙しく出張も多かった時期だったので訪問看護ステーションとの連絡を密にして利用方法を考えた。2~3日の出張の場合は夜間に訪問看護を行うなどし、1週間ほどの出張のときは近くの病院でのレスパイト入院(一時的な入院)を利用した。また、この時期からがんによる痛みの訴えも出はじめたのでペインコントロール(薬による痛みの軽減)も行った。しかし、痛みはなかなか治まらなかった。医師によれば「肉体的な痛みというよりも、この生活がいつまで続くのかという不安による心の痛みがあったのではないか」とのこと。痛みを訴える患者を目にすると「やはり入院したほうが良かったのか」と思うかもしれない。だが、その痛みは病院に入院していたとしても同じように発症していたであろう。精神面からくる痛みがあるという理解も家族には必要だ。その姿を家族が目の前で見るか、病院で看護師たちが見るかの違いである。こんなところに家族には在宅ケアへの覚悟が必要なのかもしれない。「人生の最期まで寄り添う」というのはこういった姿を受け止めることなのかもしれない。

 

Aさんは死期が近づいてくると精神的に不安定になることが多くなり、ヘルパーに「帰ってくれ」など攻撃的な言葉が出るようになってきた。そんなときは生前の妻の写真を見せたり、好きな歌を歌ったり、好きな花を見たりすると落ち着いた。そういった情報は娘から訪問看護師にもたらされており、ヘルパーとも共有されていた。家族との情報交換が重要であることがわかる。このころから訪問看護も訪問介護も毎日の訪問となった。看護と介護の違いは前に記したが、役割の違うスタッフがかかわることでそれぞれの専門性を発揮することができる。それによって娘はこれまでどおり仕事を続けることができた。

 

最期のお別れは娘が出張に行く当日。訪問看護ステーションと事前に打ち合わせをして出張中は夜にも看護師が訪問をするなどの段取りを決めていた。朝に娘さんが訪れて「行ってくるね」と声を掛けると「うん」とうなずいたが、その直後に息を引き取ったという。

 

Aさんは最後まで自分らしい生活をしながら自宅で生きることにこだわった。娘もそれを支援しAさんの「自然体の生き方」を尊重した。そこに医師、看護師、ケアマネ、ヘルパーがチームでかかわりサポートした。一人暮らしの男性が家族の支援を受けて、自分らしさを貫いた事例である。

 

なお、この事例の訪問看護では後期高齢者医療の月限度額8000円以内、訪問診療も月8000円以内であった。これに訪問介護の利用料金が加わる。料金は納税額などの条件によって違うので一概には言えないが、「在宅ケアは入院よりもお金がかかる」という認識をおもちであれば改めていただいてもよいと思う。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は10月25日にお届けしますのでお楽しみに。