18.孫や愛犬たちに囲まれて自宅で最後の2週間を過ごした50代男性

Nさん 年齢:54歳 男性

病歴:スキルス胃がん

家族:母親、妻、長男夫婦と孫(3歳)、愛犬、近所に次男夫婦と孫(0歳)

 

Nさんは工務店で働く職人であった。早くに結婚したので50代で息子2人は独立し孫も2人いた。長男家族とは同居し次男家族も近くに住んでいたので休日にはみんなでバーベキューを楽しむなど幸せに暮らしていた。ところがそんなNさんに突然病魔が襲った。病院でスキルス胃がんが見つかったとき、すでにステージ4であった。病院でできる治療はすべて行ったうえでNさんは「最後は家族と過ごしたい」と自宅に戻ることになった。

 

昔からNさんは風呂が大好きであった。そこで「親父を最後に温泉に連れて行ってやりたい」と長男は希望したが、Nさんは入院中の検査や治療で体力も落ちておりそれは実現できなかった。しかし長男は「それなら自宅で」と父親を抱え自宅の風呂に入れた。Nさんはそれをたいへん喜んだ。息子たちは若いころはヤンチャで父親を心配させたこともあったらしいが、それぞれ成人し独立して家族をもってからはそのぶん父親を敬うようになったという。

 

Nさんは体力こそ落ちていたが意識は清明であったので家族とはコミュニケーションがとれた。まだ病気のことなどわからない孫たちは大好きな“じぃじ”の布団の周りから離れないばかりでなく乗っかかったりした。また、かわいがっていた愛犬のチワワも枕元に来てはNさんの顔をペロペロ舐めた。闘病中のNさんにとってはけっして負担にならなかったとは言えないだろう。しかしNさんは嫌な顔ひとつせずにそれを受け入れ喜んだ。

 

在宅医と訪問看護師は週3回の訪問をして、留置されているPCAポンプ(自己調節鎮痛法:患者自身が必要なときに鎮痛剤を投与できる方法)のチェックや体調の管理、保清を中心に行ったが、それ以上に心のケアが必要であった。50代で突然の発症であり、Nさんはなかなか現実を受け止めることができなかった。自分のことももちろんだが家族の将来に不安を覚えていた。訪問看護師はアロママッサージをしながらその話を聞いた。家族の前では明るく振舞っていたNさんだったが、訪問看護師の前では本音を漏らした。とくに自分によく懐いてくれている孫たちの姿を見ると「この孫たちと別れるのがつらい」と涙を流した。いっぽう家族も同様に心のケアが必要であった。訪問看護師はNさんだけでなく家族とコミュニケーションをとり不安を聞いた。高齢の母親も自分より先に息子を見送ることはつらいことであった。みんながつらい思いを抱えながら過ごしていた。

 

こんなとき家族だけであればコミュニケーションがむずかしかったであろう。訪問看護師が入ることによってそれぞれが本音を漏らすことができた。Nさんが退院し自宅に帰ってきてから、家族は「いつ何が起きるかわからない」という不安で夜も眠れないこともあったようだ。しかし訪問看護師がその不安を聞き出し「いざとなればいつでも駆けつけるから大丈夫」と話すことにより安堵の表情を見せたという。

 

やがてNさんは意識がなくなり、家族に囲まれながら旅立った。家に帰ってから約2週間ほどであった。家族全員でお別れをした。納棺前には孫たちも“じぃじ”の体を拭いた。愛犬も最後までNさんの布団から離れなかった。病院で最期を迎えれば、孫はともかくペットがベッドサイドに来ることはむずかしかったであろう。訪問看護師は言う。「Nさんの病状はかなり進行が速かったが、おうちに帰りご家族や愛犬がすぐ近くにいることが癒しになっていると感じた。自宅に帰ったことで間違いなくNさんの寿命は数日かもしれませんが延びたと思います」と。

 

かけがえのない家族がいる自宅に戻ったNさん。そして忘れてはいけないのはペットの存在である。自宅で亡くなることは家族にとっても病院ではできない看取りや見送りができることがあることを教えてくれる事例である。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は2月14日にお届けしますのでお楽しみに