準備をするのに早すぎることはない
ここまで10人の事例を挙げてきた。介護はとつぜんやってくることもあればジワジワ来ることもある。介護なんてまだまだ先だと思っていても、親も自分も確実に年をとっていく。しかも同居しているケースは少なく、夫婦共働きも当たり前。もしも急に親の介護が必要となったら何から何をどうしたらよいのかわからなくなってしまうだろう。なので、まず心を決めることが必要だ。「自宅で死ぬことを第一選択として、できる限りまで自宅で生きて、どうしようもなくなったときだけ病院や施設にお世話になろう」と。時代は間違いなくそういう時代になっている。
そう考えるとやるべきことは見えてくる。まずは準備をすることだ。親御さんのことであれば、本人と話し合うことから始める。難しいと思うかもしれないが、10人の事例でもほとんどの人が「自宅で死にたい」と思っている。病院や施設で死にたいと思う人は少ないのだ。もちろん治療は病院でなければできないこともある。もしものときのことを本人と意思疎通できるうちに話をしておくことが望ましい(「5.本人が元気なうちに話し合っておきたいこと」参照)。そのためのツールとして、たとえば「もしバナゲーム」というカードゲームがある。このゲームには人が重病や死に面したときに「人がよく口にする大事なこと」が書かれていて、それをゲームとして使いながら「どのようにケアしてほしいか」「だれにそばにいてほしいか」などが共有できる。
実際に私も母親とやってみた。いつ実施できるのかチャンスをうかがい、ずっと持ち歩いていた。そして食事に出かけたときに料理が運ばれてくるまでの15分ほどに「お母さん、ちょっとゲームしてみない?」と言いながら進めてみた。86歳で年相応に認知機能がやや衰えが見えるのでスラスラ進むことはなかったが、このゲームをしなければ聞き出せなかったようなことがわかった。たとえば「いちばん心を許している友だちはだれか」などである。そんな話題はふだんはなかなかできない。大切なのはこれまでしてこなかったテーマについて話をすることなのである。死に関する話は日常の会話の延長線上にはないからだ。本人もそれまで言葉にして話したことがないと躊躇するかもしれない。当然のことだろう。しかし、いったん口にするとそこから思考が深まる。そこからコミュニケーションの積み重ねをはじめることができるからいいのだ。このゲームはアマゾンで購入できる。
近くの訪問看護ステーションを訪ねてみよう
実際にまだ介護生活がスタートしていないときに役所に話を聞きに行くのはハードルが高いかもしれない。そんなときはまずは近くの訪問看護ステーションに行ってみることをお勧めする。街中を注意して見ていれば訪問看護ステーションの看板があるはずだ。もしくはネットで近くの訪問看護ステーションを検索してみよう。
切羽詰まってからよりも余裕のあるときのほうがよい。親御さんと離れて暮らしている場合は帰省する時期に計画を盛り込んでみる。「まだ具体的ではないのですが、お話を聞かせてもらうことはできますか」と最初に聞いてみるのがよいだろう。そこで相談に乗ってもらえないようなところであれば他を当たろう。
訪問看護ステーションは看護師さんがつねに利用者宅に訪問をしているので、相談時間を確保してもらうには事前に連絡をしてから訪問するとよい。
何から話せばよいのか。次のようなことを事前にまとめておこう。
- 利用者はだれか 年齢、性別、要介護認定を受けているか
- 利用者は現在、病院に通っているか、治療中の病気やケガがあるか
- 利用者の状態について 要介護認定をまだ受けていない場合は要介護認定と同じポイントで話すのが良いだろう。
・体はどれくらい動くか(身体機能・起居動作):麻痺しているところはないか、関節は動くか、寝返りは打てるか、言動はどうか、聴力はどうか。
・食事やトイレはどうか(生活機能):ほかにも「上着の着脱」「外出は可能か」など。
・自分の名前は言えるか(認知機能):生年月日や今いる場所や住所が言えるか。
・社会生活が送れているか(精神・行動障害):急に泣いたり笑ったり感情が不安定ではないか、大声を出すことはないか、など。
・お金の管理などでできるか(社会への適応):飲み薬を一人で飲めるか、買い物に行けるか、のような社会生活を送れるかどうか。
- 同居人はいるか
・いる場合は、利用者との関係、年齢、性別、就業をしているかどうか。
・いない場合は、近くで連絡をとれる人はだれか、利用者との関係、など。
もし、まだ上の状況が把握できていない場合は、まずは本人の様子を見て確認してみよう。
-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は3月27日にお届けしますのでお楽しみに。