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24.自宅で死ぬという選択をするためのガイド④≪最終回≫

近くの「かかりつけ医」をつくっておこう

訪問看護はいろんな使い方ができることを紹介してきたが、そろそろまとめに入ろう。訪問看護を活用するには利用者がその知識をたくさんもっていることに越したことはないが、実際はどこまで知っていれば良いのかさえわからないだろう。したがって「知識をもった人」と「頼れる人」とつながっておくことである。そのためにまずは信頼できる訪問看護ステーションを見つけておくことは繰り返し書いた。そしてもう一つは近くの「かかりつけ医」をつくっておくことである。なぜなら訪問看護は基本的に医師の診断のもとに看護計画(ケアプラン)が組み立てられるからだ。前回述べた「訪問看護指示書」は該当の利用者に対して「主治医」が発行するものだったことを思い出してほしい。いろんな制限から外れて訪問看護を受けることができる「特別訪問看護指示書」も同一の医師から発行されるものである。

 

今後、大きな病院に直接行ってすぐに診断を受けることはなくなる。大規模病院、中規模病院、地域のクリニック(医院)では機能がますます分化される。さらに今回のコロナ禍でもわかるように大規模病院に行くことは高齢者にとって感染のリスクもある。「最初の診断は近くのかかりつけ医に」が鉄則だ。かかりつけ医には次の5つの役割がある。①適切な他の医療機関の紹介 ②健康診断・健康相談 ③介護保険の主治医意見書 ④地域での活動、在宅医・ACP ⑤認知症の早期発見と支援(東京都医師会HPより)。かかりつけ医は地域連携しているから、そこから評判の良い訪問看護ステーションを紹介してもらうことももちろんできる。

 

最後におさらい

自宅で死ぬためにはかかりつけ医と訪問看護ステーションをうまく使うこと。その最初の一歩を踏み出しやすいように基本的なおさらいをしてまとめとしたい。

 

■料金はどれくらいかかるのか。

訪問回数や滞在時間で基本料金が決まる。医療保険、介護保険ともに自己負担額が決められている。利用の状態によって加算(追加料金)がある。また疾患によっては公費負担もある。事前に確認しておくとよい。

 

■訪問看護は一人暮らしでも利用できるのか。

できる。訪問看護師だけではなく、医師、ケアマネジャー、介護士、理学療法士などいろんな職種が協働してサポートする。遠く離れて一人暮らしをする親も訪問看護ステーションを使ってサポートできる。

 

■リハビリテーションも訪問看護でできるか。

できる。訪問看護ステーションによっては理学療法士、作業療法士による訪問リハビリテーションを行っている。また看護師によるリンパマッサージ、オイルマッサージ、アロマテラピーなどを行っているところもある。これらによって浮腫(むくみ)や疼痛管理(痛みの軽減)、寝たきり防止、自律神経の安定などの効果も期待できる。そういった取り組みをしているかもステーション選びの一つの視点にもなる。

 

■看護だけでなく身の回りの世話もしてもらえるのか。

医療保険を使ってできるのは「看護行為」に限られるが、介護認定を受けていれば介護保険を使って「訪問介護サービス」として「家事援助」が受けられる。ただし保険内でできることには制限がある。保険範囲外のサービスを利用者の全額利用者負担で行っているところもある。

 

■医師による往診や病院への付き添いもしてもらえるか。

往診はまず「かかりつけ医」に相談するべきだが、多くのステーションが往診のできる医師と提携をしている。病院への付き添いは医療、介護保険ともに保険の範囲内ではできない。保険外扱いのサービスとして全として額利用者負担で行っているところもある。

 

■緊急時、深夜、早朝の訪問や訪問時間の延長はできるのか。

「24時間、365日対応」を謳っているステーションであればできる。「夜間・早朝訪問加算」「深夜訪問加算」「緊急訪問加算」「長時間訪問看護加算」などで追加料金が必要だ。事前に料金一覧などを確認しておくのがよい。

 

■赤ちゃんや子どもでも訪問看護は受けられるのか。

0歳から受けられる。ただし、ステーションによって対応できる体制があるかどうか事前確認は必要。

 

■どんなに遠いところでも来てもらえるのか。

ステーションごとにサービス提供エリアが決まっている。そのエリアを越えてのサービスを行っているところもあるが、ほとんどの場合、交通費は実費請求される。

 

■身体障碍者手帳、自立支援受給者証をもっているが利用料はかかるか。

身体障碍者は加入している健康保険の割合額がかかる(介護保険は1割自己負担)。

自立支援受給者は利用するステーションを「指定医療機関」として申請すると原則1割自己負担になる。

 

■生活保護を受けていても利用できるか。

自己負担なくできる。

 

■ドレーンチューブや留置カテーテルを使用しているが利用可能か。

できる。「特別管理加算」という追加料金がかかる。事前にステーション側と打ち合わせする。

 

■精神疾患があるが利用可能か。

できる。「精神科特別訪問看護指示書」を医師に書いてもらう。事前にステーション側と打ち合わせする。

 

1年間にわたり連載という形で「自宅で死ぬという選択をするには、どのような意識と知識がもっておくのがよいか」をお伝えしてきた。2020年4月現在、新型コロナウイルス感染予防対策のため病院にいくことさえままならぬ状態になっている。病院にいること自体がリスクであることがより真実として浮かび上がってきている。

 

このコロナ禍が過ぎた後、日本の医療環境がどうなっていくのか、今の時点ではわからないが、間違いなく「病院は病気を治すところ」であることがさらに進み、一人ひとりが自分の健康や命をセルフケアし、持てる自己の免疫力を高め引き出していくという方向になることは間違いないだろう。

 

そして自宅で死ぬという選択が当たり前になっていくのではないだろうか。その選択をする際にこの連載が少しでもみなさまのお役に立てることを願う。

ご愛読ありがとうございました。    小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

 

※本連載に対するご感想や質問があればぜひメールでお送りください。回答できるものに関しては、このWEBサイト上または直接メールでさせていただきます。

メールアドレス info2@nscd.or.jp

 

自宅で死ぬという選択をするためのガイド③

要介護認定を受けなくても訪問看護は受けられる

 

ここまで読んで「でも訪問看護って利用するまでの手続きが複雑っぽい」と思う人もいるかもしれない。前回、「在宅ケアを受けるには『要介護認定』を受ける必要がある」と書いたが、じつは医師が「この患者さんは継続的に在宅ケアを受ける必要がある」と診断すれば、要介護認定を受けていなくても訪問看護を受けることができる。この場合に使われる保険は「医療保険」となる。

 

前に記したが(「4 本人、家族が準備すべきこと」参照)が、保険には「医療保険」と「介護保険」の2種類がある。そして訪問看護にも「医療保険を使って」と「介護保険を使って」の2種類の利用形態があるのだ。

 

簡単に言えば、要介護認定を受けていれば「介護保険」の訪問看護利用、要看護認定を受けていなければ「医療保険」の訪問看護利用になる。医療保険を使っての訪問看護は、通院困難でなくても利用可能だし、年齢制限もないので子どもでも利用できる。

 

ただし、利用には制限がある。

・「看護師が継続的に関わる必要性がある」こと。

・1日1回(90分ほど)、週3回まで。

・1か所の訪問看護ステーションから1人のみ対応。

(この制限には3つの例外があるので後述する)

 

いっぽう、介護保険を使っての訪問看護は利用の制限がない。要介護度に応じてケアプランに組み込める範囲内であれば制限なく使える。

したがって、もしも通院中であれば要介護認定を受ける前でも一度、施設で「訪問看護を受けられないか」と医師や看護師に相談してみるとよい。たとえば手術を受けて退院後に傷あとの処置が必要な場合、外来だけでなく訪問看護での対応が可能だし、服薬管理に訪問看護師に関わってもらうことも可能である。訪問看護は「意外と使える」のだ。

 

「医療保険」での利用制限が外れる3つの例外

 

  • 「特別訪問看護師指示書」が主治医から発行されている場合

これが発行されていると14日間、基本的な制限から外れて「医療保険」の訪問看護を受けることができる。発行を受けられるのは「肺炎や心不全などの急性増悪」「疾病に関わらず終末期であること」「退院直後」。とくに退院直後はこの指示書の発行があると在宅移行時の点滴などの医療ケア、おむつの交換などの介護支援まで集中的にサポートすることができるので本人はもちろん家族も安心だ。

 

  • 「厚生労働大臣が定める疾病等」に該当する場合。(別表1参照)

週4回以上の訪問診療・訪問看護、1日に複数回の訪問看護、2か所(3か所)のステーションの併用で複数名の訪問看護が可能。退院時・外泊時の訪問看護。医療保険による訪問看護となるのでGH(グループホーム)、特定施設への訪問看護、特定施設への訪問看護が可能になる。

 

  • 「厚生労働大臣が定める状態等」に該当する場合。(別表2参照)

週4回以上の訪問看護、1日に複数回の訪問看護で2か所(3か所)のステーションの併用で複数名の訪問看護が可能。退院時・外泊時の訪問看護、長時間の訪問看護が可能。

 

このように訪問看護には利用者にとって使いやすいようにいろいろな制度や仕組みがある。利用者にとって「こんなことができると助かる」と思うことがあれば、ぜひ施設の担当者(医師、看護師、ソーシャルワーカー)に聞いてみるのがよい。

 

別表1 厚生労働大臣の定める疾病等の利用者

——————————————————-

・末期の悪性腫瘍

・多発性硬化症

・重症筋無力症

・スモン

・筋萎縮性側索硬化症

・脊髄小脳変性症

・ハンチントン病

・進行性筋ジストロフィー症

・パーキンソン病関連疾患

進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、パーキンソン病(ホーエン・ヤールの重症度分類がステージ三以上であって生活機能障害度がⅡ度又はⅢ度のものに限る。)

・多系統萎縮症(線条体黒質変性症、オリーブ橋小脳萎縮症及びシャイ・ドレーガー症候群)

・プリオン病

・亜急性硬化性全脳炎

・ライソゾーム病

・副腎白質ジストロフィー

・脊髄性筋萎縮症

・球脊髄性筋萎縮症

・慢性炎症性脱髄性多発神経炎

・後天性免疫不全症候群

・頸髄損傷

・人工呼吸器を使用している状態

 

別表2 厚生労働大臣の定める状態等の利用者

——————————————————-

・在宅悪性腫瘍患者指導管理もしくは在宅気管 切開患者指導管理を受けている状態、または気管カニューレもしくは留置カテーテルを使用している状態

・以下の指導管理を受けている状態

在宅自己腹膜灌流指導管理

在宅血液透析指導管理

在宅酸素療法指導管理

在宅中心静脈栄養法指導管理

在宅成分栄養経管栄養法指導管理

在宅自己導尿指導管理

在宅持続陽圧呼吸療法指導管理

在宅自己疼痛管理指導管理

在宅肺高血圧症患者指導管理

・人工肛門または人工膀胱を設置している状態

・真皮を越える褥瘡の状態

・点滴注射を週3日以上行う必要があると認められる状態

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は4月24日にお届けしますのでお楽しみに。

22.自宅で死ぬという選択をするためのガイド②

要介護認定を受けるには

 

では次に具体的に介護をはじめるときの話をしよう。65歳になると介護保険の加入者として「介護保険被保険者証」が交付されるがこれだけは介護サービスを受けることはできない。医療保険や介護保険を使って在宅ケアを受けるには「要介護認定」を受ける必要がある。認定は本人が住んでいる市町村の窓口で受け付けられる(窓口の名称はエリアによって違うので調べよう)。申請は原則、本人または家族であるが、居宅介護事業者や地域包括支援センターで代行申請もしてもらえる。

 

要介護認定には2回の判定がある。市町村に申し込むと1次判定(担当者による聞き取りと「主治医意見書」による)。2次判定では1次判定の結果をもとに介護認定審議会が審査を行い、「要介護度」を判定する。これによって「どのような介護が、どの程度必要か」が決められる。申請から30日以内に認定結果と介護保険被保険者証が郵送される。

 

認定の結果は「要支援1~2」「要介護1~5」「非該当(自立)」の3種類。介護保険サービスを受けるときはこの要介護認定の区分により給付の限度額が決まる。令和元年(2019年)の支給限度額は以下のとおり(地域、受けるサービスによって変わる場合あり)。

 

要支援1 5万320円

要支援2 10万5310円

要介護1 16万7650円

要介護2 19万7050円

要介護3 27万480円

要介護4 30万9380円

要介護5 36万2170円

 

要介護度のイメージとは

 

要介護度別の定義は特にないようだが、イメージとしては次のようなものである。

 

要支援1 日常生活はほぼ自分で行える。支援を受けることで要介護状態になることを予防できる。

要支援2 要支援1よりも立ち上がりや歩行などの運動機能に若干の低下がみられる。

要介護1 自分の身の回りのことはほぼできるが、部分的に介護が必要な状態。

要介護2 日常生活能力や理解力が低下し、身の回りのことについても介護が必要な状態。

要介護3 食事や排せつなどが自分でできなくなり、ほぼ全面的に介護が必要とされる状態。

要介護4 要介護3よりも動作能力が低下し、日常生活全般に介護が必要な状態。

要介護5 要介護状態においてもっとも重度で、あらゆる場面で介護が必要となり意思の疎通も困難な状態。

 

この要介護度に応じて医療保険や介護保険を使って介護サービスを受けることができるのだが、そのためには「ケアプラン」というものをつくる必要がある。ケアプランは自分でもつくることは可能だが、制度に関する知識が必要なので通常は専門家に依頼する。「要支援」の場合は「地域包括センター」、「要介護」の場合はケアマネジャーのいる居宅介護支援事業者がその依頼先になる。

 

このとき納得できるケアプランをつくるためには、しっかり本人の意向や介護者の意見や希望をまとめておくことがたいせつである(「8.自宅で死ぬための『患者力』をつける」、「10.良い訪問看護ステーションの選び方」参照)。

 

介護生活は長くなることもあるので、その状況によって受ける介護サービスも変えていけばよい。

 

いちばんたいせつなのは本人とその家族がどんな死を迎えたいかである。それをいっしょにかなえてくれる訪問看護ステーションや医師に巡り合うためには「選ぶ目」を持っておきたい。

 

自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は4月10日にお届けしますのでお楽しみに。

21.自宅で死ぬという選択をするためのガイド①

準備をするのに早すぎることはない

 

ここまで10人の事例を挙げてきた。介護はとつぜんやってくることもあればジワジワ来ることもある。介護なんてまだまだ先だと思っていても、親も自分も確実に年をとっていく。しかも同居しているケースは少なく、夫婦共働きも当たり前。もしも急に親の介護が必要となったら何から何をどうしたらよいのかわからなくなってしまうだろう。なので、まず心を決めることが必要だ。「自宅で死ぬことを第一選択として、できる限りまで自宅で生きて、どうしようもなくなったときだけ病院や施設にお世話になろう」と。時代は間違いなくそういう時代になっている。

 

そう考えるとやるべきことは見えてくる。まずは準備をすることだ。親御さんのことであれば、本人と話し合うことから始める。難しいと思うかもしれないが、10人の事例でもほとんどの人が「自宅で死にたい」と思っている。病院や施設で死にたいと思う人は少ないのだ。もちろん治療は病院でなければできないこともある。もしものときのことを本人と意思疎通できるうちに話をしておくことが望ましい(「5.本人が元気なうちに話し合っておきたいこと」参照)。そのためのツールとして、たとえば「もしバナゲーム」というカードゲームがある。このゲームには人が重病や死に面したときに「人がよく口にする大事なこと」が書かれていて、それをゲームとして使いながら「どのようにケアしてほしいか」「だれにそばにいてほしいか」などが共有できる。

 

実際に私も母親とやってみた。いつ実施できるのかチャンスをうかがい、ずっと持ち歩いていた。そして食事に出かけたときに料理が運ばれてくるまでの15分ほどに「お母さん、ちょっとゲームしてみない?」と言いながら進めてみた。86歳で年相応に認知機能がやや衰えが見えるのでスラスラ進むことはなかったが、このゲームをしなければ聞き出せなかったようなことがわかった。たとえば「いちばん心を許している友だちはだれか」などである。そんな話題はふだんはなかなかできない。大切なのはこれまでしてこなかったテーマについて話をすることなのである。死に関する話は日常の会話の延長線上にはないからだ。本人もそれまで言葉にして話したことがないと躊躇するかもしれない。当然のことだろう。しかし、いったん口にするとそこから思考が深まる。そこからコミュニケーションの積み重ねをはじめることができるからいいのだ。このゲームはアマゾンで購入できる。

 

近くの訪問看護ステーションを訪ねてみよう

 

実際にまだ介護生活がスタートしていないときに役所に話を聞きに行くのはハードルが高いかもしれない。そんなときはまずは近くの訪問看護ステーションに行ってみることをお勧めする。街中を注意して見ていれば訪問看護ステーションの看板があるはずだ。もしくはネットで近くの訪問看護ステーションを検索してみよう。

 

切羽詰まってからよりも余裕のあるときのほうがよい。親御さんと離れて暮らしている場合は帰省する時期に計画を盛り込んでみる。「まだ具体的ではないのですが、お話を聞かせてもらうことはできますか」と最初に聞いてみるのがよいだろう。そこで相談に乗ってもらえないようなところであれば他を当たろう。

 

訪問看護ステーションは看護師さんがつねに利用者宅に訪問をしているので、相談時間を確保してもらうには事前に連絡をしてから訪問するとよい。

 

何から話せばよいのか。次のようなことを事前にまとめておこう。

  • 利用者はだれか 年齢、性別、要介護認定を受けているか
  • 利用者は現在、病院に通っているか、治療中の病気やケガがあるか
  • 利用者の状態について 要介護認定をまだ受けていない場合は要介護認定と同じポイントで話すのが良いだろう。

・体はどれくらい動くか(身体機能・起居動作):麻痺しているところはないか、関節は動くか、寝返りは打てるか、言動はどうか、聴力はどうか。

・食事やトイレはどうか(生活機能):ほかにも「上着の着脱」「外出は可能か」など。

・自分の名前は言えるか(認知機能):生年月日や今いる場所や住所が言えるか。

・社会生活が送れているか(精神・行動障害):急に泣いたり笑ったり感情が不安定ではないか、大声を出すことはないか、など。

・お金の管理などでできるか(社会への適応):飲み薬を一人で飲めるか、買い物に行けるか、のような社会生活を送れるかどうか。

 

  • 同居人はいるか

・いる場合は、利用者との関係、年齢、性別、就業をしているかどうか。

・いない場合は、近くで連絡をとれる人はだれか、利用者との関係、など。

 

もし、まだ上の状況が把握できていない場合は、まずは本人の様子を見て確認してみよう。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は3月27日にお届けしますのでお楽しみに。

20.訪問看護を利用し、最後はホスピスでの死を選んだ男性

Tさん 年齢:70歳 男性

病歴:大腸がん

家族:妻と2人暮らし

 

Tさんは60代前半に大腸がんを患い大腸ストーマを造設した。その後経過は良く元気に日常生活を送ることができるようになった。しかし2年が経つころストーマの周辺が皮膚トラブルを起こすようになり、週に一度、ストーマ交換をしていた妻の負担もだんだん大きくなってきた。それ以外にはTさんの健康上には大きな問題がなく介護保険は使っていない状態であった。

 

妻は自分一人でTさんのことを見ているのも心配になり訪問看護ステーションに相談をした。在宅医とも相談をして、まずは週1回の訪問看護からスタートし、ストーマ交換と周辺の皮膚の状態のチェック、体調管理を行うことになった。また妻の負担を減らし気分転換をはかるためにTさんにはホスピスに1週間のレスパイト入院をしてもらうことにした(レスパイト入院とは家族の息抜きをするために在宅看護・介護のできない患者を一時的に入院させることである)。それによって妻はいったん元気になることができたので、レスパイト入院の有効性を妻も訪問看護師も感じることができた。

 

またTさんもそれまではホスピスに対して具体的なイメージをもっていなかったようだが、この入院を体験してからはホスピスでの生活もイメージできたようであった。

 

とはいうものの、Tさんは自宅での生活に満足をしており、そのままこの生活が続くことを望んでいた。ストーマ交換は「3日に一度」に頻度を上げていたので、それに伴い訪問看護も回数を増やしていった。訪問看護師は妻の様子を見ていると、今後について話し合う必要性を感じた。そこでTさん、妻、訪問看護師、在宅医で「どのような形で生活を続けていきたいか。お別れのときはどこで迎えたいか」を話し合う機会を設けることにした。いわゆる「人生会議(Advance Care Plan:ACP)」である。

 

妻はストーマ交換だけでなく、今後Tさんの症状が悪化した場合に自分一人で看護できるのかについて不安を持ち続けていることを告げた。Tさんも「自分になにかあったときに家族が不安のない場所にいたほうがよい」という気持ちが強かった。それに対して妻は「自分には自宅で看取ることに自信がない」と言い切った。Tさんは自宅で最期を迎えることを望んではいたが、妻の気持ちもおもんぱかった。じつはTさんは若いころ妻に迷惑を掛けた出来事があった。「これまで妻にはたいへんに世話を掛けてきた。これ以上、自分のために妻に負担を強いることはできない」と訪問看護師に語り、みずからの意志でホスピスに入ることを決めた。

 

そしてホスピスに入って数か月後、Tさんは妻に看取られながら静かに息を引き取った。

 

在宅医療の本質は「自宅で死ぬこと」ではなく「死ぬまで自宅で生きること」である。ホスピスで亡くなったTさんはそういう意味では「在宅医療」で最期を迎えたわけではなかった。しかし、Tさんは自分と家族(妻)との生活を考えて「在宅医療」と「ホスピス」を使い分けたのである。老老介護も課題となっている昨今、できるところまでは自宅で生きて、介護者の負担を考えて最後は医療機関を使うというのはますます必要な観点になっていくだろう。5回目で書いた「『施設ケア』と『在宅ケア』を組み合わせる」の一つの事例である。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は3月13日にお届けしますのでお楽しみに。

 

19.闘病を病院で終え自宅で家族と最期を迎えた男性

Oさん 年齢:60歳 男性

病歴:肺がん

家族:妻、長男(30代)と3人暮らし

 

Oさんは50代で肺がんを発症した。治療を受けながら仕事を続けたが入退院を繰り返した。それでもなんとか定年まで仕事を続けることができた。それがOさんの目標でもあったのだろう。定年を迎えた後は緊張の糸が切れたかのようにOさんは体調が悪くなった。

 

病院ではこれまでできる限りの治療を受けてきた。末期がん患者として再び入院したOさんは病院のベッドで酸素吸入をしながら過ごす日々となった。医師は妻に「もう病院でできることはありません。最後はご自宅でお過ごしになってはいかがでしょうか」と告げた。それは妻にとっては最終宣告のように聞こえた。病院においては「病気で死ぬことは敗北」のように医師が感じているように思えた。ナーバスになっていた妻には「もう夫にはこれ以上の治療はないのだ」と思うと突き放されたような気がした。しかし、寄り添ってくれた看護師が「患者として病院におられるより、家族の一員としておうちに帰られたほうがご本人も喜ばれるかもしれませんよ」と言ってくれたことに気持ちが落ち着いた。病院にいたら患者としてもう死を待つだけだが、家に帰ればまだ家族としてやれることがあるのではないかと考えが変わり始めたと言う。

 

医療の場所にいる限り「患者」であり、家族は治療に関してはどうすることもできない。「水が飲みたい」と言っても飲ませていいかどうかを看護師に聞かないといけないような気持になる。しかし、もし家に帰ればまずは「家族」であり、夫が望むことは夫と自分の判断でできる。夫はこれまで病院で医師の指示に従いがんばってきたのだ。もう病院でできることがないのであれば、闘病はやめて自宅でゆっくり過ごさせてあげようと妻は決意した。30代の息子は仕事が忙しく病院への見舞いはなかなか行けなかったので父親が自宅に戻ってくることを喜び歓迎した。

 

Oさんも自宅に帰れることを喜んだ。家に帰るとそれまで病院では口にしなかった家族への感謝の言葉や、自分が亡くなった後の保険のことを話し始めた。もちろん妻や息子に不安がなかったわけではない。そこで訪問看護師は1日2回の訪問をして「Oさんの看護は私たちに任せてください。奥さまはそばにいてOさんにしてあげたいことをしてください」と伝えた。夜間にOさんの呼吸に異変を感じたときは遠慮なく電話をするように言いサポートをした。自宅に戻って数週間後、Oさんの意識は亡くなり眠るように穏やかに旅立った。最後はOさんがいちばん好きだったゴルフウェアを着て荼毘(だび)に伏した。

 

妻は言う。「入院していたときは、いつ亡くなってしまうかと不安でした。でも自宅に帰ってからいつでも声を掛けられたし、様子を見ることができたからだんだん覚悟ができてきました。死を受け入れる心の準備ができていたのかもしれません」と。

 

病院は病気を治すところであると再認識すると、闘病にがんばる入院生活はどこかで終止符が打てることもある。そこからは自宅に戻って家族としてやれることが残っているのであればそれを選択してもよいのではないだろうか。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)
※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は2月28日にお届けしますのでお楽しみに。

18.孫や愛犬たちに囲まれて自宅で最後の2週間を過ごした50代男性

Nさん 年齢:54歳 男性

病歴:スキルス胃がん

家族:母親、妻、長男夫婦と孫(3歳)、愛犬、近所に次男夫婦と孫(0歳)

 

Nさんは工務店で働く職人であった。早くに結婚したので50代で息子2人は独立し孫も2人いた。長男家族とは同居し次男家族も近くに住んでいたので休日にはみんなでバーベキューを楽しむなど幸せに暮らしていた。ところがそんなNさんに突然病魔が襲った。病院でスキルス胃がんが見つかったとき、すでにステージ4であった。病院でできる治療はすべて行ったうえでNさんは「最後は家族と過ごしたい」と自宅に戻ることになった。

 

昔からNさんは風呂が大好きであった。そこで「親父を最後に温泉に連れて行ってやりたい」と長男は希望したが、Nさんは入院中の検査や治療で体力も落ちておりそれは実現できなかった。しかし長男は「それなら自宅で」と父親を抱え自宅の風呂に入れた。Nさんはそれをたいへん喜んだ。息子たちは若いころはヤンチャで父親を心配させたこともあったらしいが、それぞれ成人し独立して家族をもってからはそのぶん父親を敬うようになったという。

 

Nさんは体力こそ落ちていたが意識は清明であったので家族とはコミュニケーションがとれた。まだ病気のことなどわからない孫たちは大好きな“じぃじ”の布団の周りから離れないばかりでなく乗っかかったりした。また、かわいがっていた愛犬のチワワも枕元に来てはNさんの顔をペロペロ舐めた。闘病中のNさんにとってはけっして負担にならなかったとは言えないだろう。しかしNさんは嫌な顔ひとつせずにそれを受け入れ喜んだ。

 

在宅医と訪問看護師は週3回の訪問をして、留置されているPCAポンプ(自己調節鎮痛法:患者自身が必要なときに鎮痛剤を投与できる方法)のチェックや体調の管理、保清を中心に行ったが、それ以上に心のケアが必要であった。50代で突然の発症であり、Nさんはなかなか現実を受け止めることができなかった。自分のことももちろんだが家族の将来に不安を覚えていた。訪問看護師はアロママッサージをしながらその話を聞いた。家族の前では明るく振舞っていたNさんだったが、訪問看護師の前では本音を漏らした。とくに自分によく懐いてくれている孫たちの姿を見ると「この孫たちと別れるのがつらい」と涙を流した。いっぽう家族も同様に心のケアが必要であった。訪問看護師はNさんだけでなく家族とコミュニケーションをとり不安を聞いた。高齢の母親も自分より先に息子を見送ることはつらいことであった。みんながつらい思いを抱えながら過ごしていた。

 

こんなとき家族だけであればコミュニケーションがむずかしかったであろう。訪問看護師が入ることによってそれぞれが本音を漏らすことができた。Nさんが退院し自宅に帰ってきてから、家族は「いつ何が起きるかわからない」という不安で夜も眠れないこともあったようだ。しかし訪問看護師がその不安を聞き出し「いざとなればいつでも駆けつけるから大丈夫」と話すことにより安堵の表情を見せたという。

 

やがてNさんは意識がなくなり、家族に囲まれながら旅立った。家に帰ってから約2週間ほどであった。家族全員でお別れをした。納棺前には孫たちも“じぃじ”の体を拭いた。愛犬も最後までNさんの布団から離れなかった。病院で最期を迎えれば、孫はともかくペットがベッドサイドに来ることはむずかしかったであろう。訪問看護師は言う。「Nさんの病状はかなり進行が速かったが、おうちに帰りご家族や愛犬がすぐ近くにいることが癒しになっていると感じた。自宅に帰ったことで間違いなくNさんの寿命は数日かもしれませんが延びたと思います」と。

 

かけがえのない家族がいる自宅に戻ったNさん。そして忘れてはいけないのはペットの存在である。自宅で亡くなることは家族にとっても病院ではできない看取りや見送りができることがあることを教えてくれる事例である。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は2月14日にお届けしますのでお楽しみに

17.「後悔したくない」と娘が在宅ケアを選び看取られた女性

Eさん 年齢:90歳 女性

病歴:誤嚥性肺炎の繰り返し

家族:娘夫婦、孫と同居

 

Eさんは数年前から嚥下機能が落ちて誤嚥性肺炎のために入退院を繰り返していた。最後の入院となったときには食欲もなくなり医師からは胃ろうを勧められた。入院中は鼻からの経管栄養であった。Eさんは認知機能の衰えはあったが意識ははっきりしており「もう年なのだから胃ろうや点滴で生きながらえるのは嫌だ」との意思ははっきりしていた。その後、入院を続けるなかでEさんは入院生活に不安を訴えたり、せん妄のために病院と自宅を間違ったりするようになった。付き添っていた娘もその様子を見て「家に連れて帰る」との気持ちを固めた。在宅医と訪問看護を使って在宅ケアをすることを決めた。退院時は鼻からのチューブは外さないままであった。

 

娘は「母親と過ごす最後の時間を後悔したくない。できるだけのことをしたい」と訪問看護師に訴えた。訪問看護師はEさんの状態を見ながら、もしかしたらまだ口から食事ができる可能性があるのではないかと感じた。そこで歯科医、在宅医と相談してVE(嚥下内視鏡検査:嚥下力があるかどうか調べる検査。自宅でできる)を行った。結果は「悪くない。経口による食事も可能」であった。娘は喜び訪問看護師と相談のうえ、経口による食事を始めることにした。娘はもともと料理が得意でありEさんも娘の手料理を食べることが好きであった。娘は母親の好みにあった茶碗蒸しや煮物、白身の魚を使った料理など心を込めてつくった。娘の思いも伝わったのかEさんは驚くほど食欲を回復させて食事ができるようになった。鼻からのチューブも外すことになった。

 

しかし、1か月ほどするとだんだん食欲も落ちてきた。再び鼻からチューブを入れることは本人も娘も望まなかった。食べることも飲むこともできなくなった母親を見て娘は「お母さんがかわいそう」と心を痛め、点滴でなんとかならないかと在宅医に要望した。しかしEさんの血管はすでに点滴の針も入らなくなっていた。訪問看護師は在宅医と相談して皮下注射による点滴を行った。その5日後、Eさんは静かに息を引き取った。退院から約3か月が経っていた。

 

もし、Eさんが退院をせずにそのまま入院を続けていたらどうなっていたであろう。消化機能がある限り鼻からの経管栄養注入は続けられ、消化機能が消失すれば点滴による栄養注入に移ったのではないかと推察される。そうすれば3か月より長く生命は維持できたかもしれない。しかし、退院したときのようにEさんが再び食欲を見せることもなかっただろうし、娘のつくった料理を味わうこともできなかっただろう。その期間はわずか1か月ほどではあったが娘は母親のために一生懸命料理をつくり、母親の食欲回復を喜び、喜ぶ顔を糧にまた料理づくりに情熱を注いだ。「後悔をしたくない」という娘の気持ちはその1か月があったことで満たされたことであろう。

 

目の前で親が弱っていくのを見るのはつらい。食欲がなくなりはじめたとき「点滴しなくても大丈夫ですか」と娘からの問いがなされたので在宅医は皮下注射による点滴を行った。「食べられなくなったら点滴」というのはかつての常識だった。そのため患者や家族にもその固定観念があるのだろう。しかし今は「いつまで点滴を続けるか」は医師によってもその価値観は変わりつつある。娘も点滴をされた母親を見て「これをしても母親が楽になるわけでもないんですよね」とポツリとこぼしたという。皮下注射による点滴を始めてからの5日間が娘にとってはEさんとの最後のお別れの時間になった。在宅医療は「家で最期を迎えたい本人」はもとより、「後悔なく送り出したい家族」にとっても大切な時間をもたらすということを教えてくれる事例である。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は1月24日にお届けしますのでお楽しみに

16.無理な治療はせず自宅で「枯れていくような自然な死」を迎えた女性

Dさん 年齢:98歳 女性

病歴:とくになし。

家族:夫とは死別。息子夫婦(60代)と2世代住宅の1階で自立して暮らす。

 

Dさんは98歳であったが、大きな病気もせずに元気に暮らしていた。息子夫婦とは2世代住宅だがキッチンやトイレなどそれぞれの生活スペースは独立しており、ほぼ自立した生活をしていて定期的なデイサービスにも意欲的に通っていた。買い物も自分で楽しみながら出かけることができた。

 

ところがその年はたいへんな酷暑で、さすがのDさんも夏バテのせいか食欲が落ちデイサービスに行くのもおっくうになり家から出なくなった。心配した息子はケアマネジャーに連絡。ケアマネから訪問看護ステーションに相談があった。看護師が訪問したところ、たしかに元気はなくしていたが、98歳という年齢を考えると年相応とも受け止められると家族に伝えた。しかし、これまでのDさんの元気な生活状態を見ていた息子夫婦は何らかの治療が必要ではないかとの思いをぬぐい切れなかったようだ。数日後に「食が細くなっている。点滴などする必要はないのか」と訪問看護ステーションに連絡があった。看護師は訪問し体の状態を診たうえで「高齢からくる衰弱と考えられる。無理にでも入院をして検査をすればどこか悪いところは見つかるかもしれない。しかしこの年齢で治療の判断を医師がするかどうかはわからない。在宅医の訪問を受けてから入院の判断をしてはどうか」と伝えた。Dさんに入院の意志を確認すると「年も年だから体調が悪いのは仕方ない。入院はしたくない」とのことだった。在宅医の診断も「点滴などせずに、食べたいときに食べたいものを食べ、飲みたいものを飲めばよい」であった。

 

こうしてDさんの在宅ケアが始まった。訪問看護は週に1回で、おもにDさんの体の状態を見ることが訪問目的となった。本人はオムツの着用は強く拒否。排せつは自分でするという強い要望をもっていたので看護師もその意志を尊重した。

 

ここから家族の不安が渦巻く数週間となる。本人が望んだとはいえ息子夫婦は自宅にいる母親の様子が気になって仕方がない。食欲がかつてのように戻らないが大丈夫だろうか、トイレに行くときに転倒しないだろうか、と心配になる。夜にそっと部屋をのぞきにいくこともあり睡眠不足に陥ったりもした。そんな息子夫婦からの要望で訪問看護は週に2回になった。Dさんの看護というよりも家族ケアの側面が強かった。「母親が急に亡くなるようなことはないだろうか」という不安に駆られて緊急訪問の要請があったこともある。「やはり入院させたほうが良かったのではないか」と気持ちは揺れ動く。看護師はその気持ちに寄り添いじっくり話を聞いた。Hさんには認知症はなく意識もはっきりしていたので、ときにはベッドサイドで息子と3人で昔話をした。2人で面と向かうとできない話も看護師が入ることで素直にできることもある。息子からDさんへ感謝の言葉が伝えられDさんがうれしそうな顔をしたこともあった。

 

秋が訪れるころDさんの体力は落ち、自力でトイレまで歩くことが困難になった。そのためポータブルトイレをベッドサイドに設置した。この時期にはヘルパーと看護師が日替わりで訪問しトイレの介助や清拭を行った。看護師はリラクゼーションのために足湯を提案して最後までDさんの快適な生活を支援した。

 

やがてDさんが寝ている時間は徐々に増えていきポータブルトイレも使えなくなってきた。Dさんはオムツ着用を承諾した。しばらくして、Dさんの呼吸の状態から死期が近いことを推測した看護師はそれを息子に伝えた。「とうとうですか」と息子はその事実を冷静に受け止め、遠くに住む姉に連絡した。数日後、姉が到着して訪問看護師も見守るなかDさんは静かに息を引き取った。亡くなる前には食事も水分もわずかしかとらなかった。その姿はまるで草花が枯れていくようで、自然に死を迎えて天寿をまっとうしたという言葉がぴったり当てはまるものだったという。訪問看護ステーションの管理者には息子から「本当にありがとうございました。なんの悔いもありません」と感謝の電話が入ったという。

 

この事例では家族が在宅ケアを受入れるまでに何度も心の揺れ動きが見られた。これは決してめずらしいことではない。ベテラン訪問看護師によれば「家族が“入院させたほうが良かったのでは”と揺れ動く期間は必ずある」という。しかし、この時期を経るなかで息子夫婦はDさんの食欲の減少や睡眠時間が長くなるなどの変化を受け入れ、別れの覚悟を固めていくことができた。入院をしていれば点滴などで体の栄養状態は保つことができてもう少し長く生命は維持できるかもしれない。しかし、家族がこのように別れを覚悟する時間はとれなかったのではないだろうか。

 

-自宅で死ぬということ- 著:小阿羅 虎坊(こあら・こぼ)

※「自宅で死ぬということ」は第2・4金曜日に更新します。
次回は1月10日にお届けしますのでお楽しみに